スパンキーと存在承認欲求とメンヘル

さて、ここまでスパンキー心を私なりに分解し尽くして書いてまいりました。

それぞれのスパンキーさんがスパンキングへ向かった気持ちや体験の原点というのは、人それぞれ異なるでしょう。
しかし今ここで改めて、スパンキーさんに多く見られる性格や考え方の傾向をあげて見ますと、

・甘えたがり、子供に戻りたい願望がある
・罪悪感を抱きやすい、過剰な自罰傾向がある
・自分に自信がない、自分で自分の存在を肯定するという健全な自尊心を抱けていない
・見放されることを嫌う、見捨てられ不安を抱く

というような傾向があるように思います。
またこれらの傾向を内包している自分を自覚して、それへの反動のような性格形成をしている場合もあるでしょう。良い例が私(笑)

・本当はめちゃくちゃ甘えたがり→別に甘えなくても生きていける、と自分で信じ込む。
・実は子供に戻りたい→もっと大人になりたい、と頑張る。等身大以上に大人ぶる。
・健全な自尊心を抱けていない→人に評価される、自信が持てるものをつくろうとして頑張り続ける。
・見捨てられ不安を抱く→人に見捨てられる前に自分から人を見捨てる。

表面的に見える性格、いわゆるキャラ的な部分は、同じスパンキーさんとて十人十色。
しかし心の奥深くに内包している、もしくはしていた傾向として、最初に挙げたような性格や考え方の傾向を抱えている方は、実は結構多いのではないかと思うのです。

そして、これらの性格が形成されてきた所以が、果たして家庭環境に由来する根深いものなのか、その他の経験、トラウマなどによるものなのか、それもまた人それぞれ。

しかし上記のような傾向をそのままに抱えているというのはなかなかに不安定な状態であることに違いありません。

だからそれを安定させようと、様々な方向へその不安定さは向かいます。

健全な方向へ向かうなら、仕事や学業その他の事を頑張って人に認められるものを自分の中に作り出すことにエネルギーを注ぐかもしれません。
それが上手く結果として現われ、自分のアイデンティティのひとつとして、自尊心の形成に繋がっていくのなら良いでしょう。
しかし何もかもが上手くいくことばかりではない。
そういう部分も残しながら、アルコール依存、買い物依存、ギャンブル依存等の各種の依存症という症状を呈する場合もあるかもしれません。
あるいは、本格的なメンヘルになり、リストカットその他、苦しい思いをしてしまうかもしれません。

そう言った、心の不安定さが向かう場所のひとつに、性倒錯があると言われているのです。

スパンキー女性とて、実社会ではきちんとした大人なのですから、自分の存在価値を確認する場所も方法も多々あります。

仕事をしてお金を稼ぐこと、誰かの力になってあげること、資格を取ったり賞を取ったりして自分の頑張りが形になること、そのほかにも色々、小さなことでも、人を笑顔にさせたり、元気付けたり、満足させたりして、誰かに「ありがとう」と言われたり、褒められたり、そういう小さなことで自分の存在、自分の力を確認する術があり、それらが上手く回っていると、とても健全な状態と言いますか、自分がスパンキーであることを忘れていられる事もあるでしょう。

けれど一旦何かが上手くいかなくなって、とても自己嫌悪に陥ってしまうと、誰かに頼りたくなって、お仕置きされたくなったり、スパ欲が発現してしまう。

特定の相手(パートナーさんであったり恋人であったり)がいないならいないで、一人で何とかしつつ、時間が癒してくれたりもしますし、友人と時間を過ごして気を紛らわせたり、上手に気分転換をして、また上手くやれたりするものだと思います。


しかしここで特定の相手がいると、自分の不安定さが全部その相手へ向かってしまう傾向はないでしょうか?

結局スパンキーとは、いいえ女性とは、人間とは存在を受け入れられたい生き物なのです。
自分の存在を肯定してくれる場がなければ、人間は健全な精神では生きられません。
存在の承認欲求が満たされないとき、人は心を病み、いわゆるメンヘルという状態に陥ります。

そして人の存在を肯定することができるのは、最終的には人です。
人は存在を肯定し合って、社会を作り、生きているわけです。

出会ったスパンキーさんがいわゆるメンヘルだった。
それはレッテル貼りになってはいないでしょうか?
理由なく心を病む人はいません。

そのスパンキーさんの存在を肯定し、受け入れているコミュニティがあるか、
またそのスパンキーさんもコミュニティへ受け入れられるよう努力をしているのか、
これらは、スパンキーさんの心の成長度を計る重要なポイントになるのかもしれません。

スパプレイの中に、スパンキー的心の欲求を満たす要素が含まれているのは確かですが、それはアルコールのように一過性のものであり、また中毒性があるものでもあります。
1度素晴らしいプレイをして幸せな気持ちになったからといって、その心は完全に満たされることはなく、かえってさらなるプレイの刺激を求めたり、反動のようにメンヘル的症状が悪化したり、そういうことが往々にしてあるものだと思います。

存在承認欲求はスパプレイにではなく、リアルでしっかりとした人間関係の中に求めなければ、いくらプレイを繰り返したところでそのスパ欲は決して満たされることはないでしょう。

中毒のようにプレイを繰り返す人には、この視点が欠けていることが多いものです。