スパンキングとSMについて

これはね、サイトを立ち上げた当初から、いつかは書こう書こうと思っていたテーマ。
100質の92番にある質問なのですが、「いずれ“たわごと”でちゃんと語りたいと思います」なんて回答で、長らく放置プレイだったテーマなのでした。

ネタとしてはたっぷり小一時間は語れそうな、なかなか面白い議題なんだけどね。(え、そんなことないって?まあ、お付き合いくださいよw)

そもそもこの話を語るには、スパンキングとは何ぞや?SMとは何ぞや?という定義からはじめなければならなくて、もちろんこういうことは人それぞれの定義があって良いのだから、私なりの定義をぶち上げた上で「これはあくまで私個人の考えですから」と言って語れば良いのだけれども、その定義があんまりにも恣意的だったり客観性を欠くものでは、お話全体がちょっとあまりにチープでつまらんモノになるぞ・・・と二の足を踏み続けていたテーマでもあったのでした。

以下、当然もちろん私の主観なのではありますが、100質作成から4年半を経過した今の私として、スパンキングとSMについて語れるところを、語ってみたいと思います♪



さて、スパンキングという単語には当然「お尻を叩くこと」という意味しかなくて、ラブスパとかディプリンスパとかSMプレイのスパとか色々あるわけですが、ここではとりあえず、私の好む「ディシプリンスパンキング」と「SM」についてということで語ってみましょう。

はい、いきなり定義狭っ!というツッコミは無しでw定義を限定しなければ論点ずれて議論が拡散するばっかりでお話が始まらないのでね。

以下、スパンキングとは、客観的、社会的、倫理的、道徳的・・・何でもいいです、何らかの規範に背いた悪事に対して与えられる罰、お仕置き、punishmentとしてのディシプリンスパンキングのことだっていう土俵で読んでちょーらいね☆




前置きが長くなりましたが、関係性を重視する性癖というのがあるんですよね。
〜する側と〜される側という、お互いの立場が決まっているやつ。
  
Sadism & Masochism(サディズムとマゾヒズム)
加虐や被虐が性的興奮に結びついたものを、それぞれS性、M性と言うのが本来のサディズム、マゾヒズム。

Bondage & Discipline (束縛としつけ。BDSMと言う時のBDとはこれ)
身体的または精神的な束縛によって相手を奴隷化するのがこれ。
痛みは伴わないんだって。

Dominance & Submission(支配と服従)
パワーを使って服従させる、ということ。


この3つの分類は、アメリカ精神医学界の診断基準であるDSMというものに載ってる分類法なんですけど、これらが一緒くたになってるのが、いわゆる「えすえむ」ですね。
ただ相手の嫌がることをする(加虐)、苦痛を強いられる(被虐)のみを追求する「えすえまー」さんの方が珍しいんじゃないのかな?もっと精神的な服従とかそういうのも大事らしくて。
「SMって鞭と縛りとローソクと浣腸だよね?」なんて言ったらSMの人が怒りそうだしねぇ(笑)


スパンキングも、一応はスパンカーとスパンキーというrole(役割)というか立場があって、叱る人と叱られる人というその関係性は、一応は大事、ですね。

でも何だろう、スパンキングって、「正しさ」を重視するところありません?
私、これが一番スパンキング嗜好の特殊なところだって思うんだぁ。

お説教があってさ、スパンカーは「お仕置き」の正当性を、ここで懇々と証明しつくすというステップがあるじゃない?
スパンキーも存分に言い訳してみたりするけれど、それをパワーコントロール(脅しなど)で潰すのではなく、論理で含めるのが本来的な「お説教」だもんね。

SMにも「お仕置き」ってあるけれど、それって結構理不尽な理由もアリというか。
関係性を重視する性癖だから、関係性の保持を相当に重視するみたい。
だから立場を逸脱する行為は十分にお仕置きの対象のようなのです。
Sへの反抗とか、口答えとか、わがままを言うこと、とかね。

Sさんの言葉や命令に客観的正当性はそこまで必要なくて、Sとは絶対的なものであるのが本来だから、「わがままMはダメだ」とか「SとMの立場の逆転」がどうとか、「優位性」がどうとか言う話もよく出るらしい・・・というのが、SMの世界をちらりと覗き見した感想。


それで言うと、スパンキーって、相当に主体性を主張するし、またその主体性が許されてるのが面白いんですよ。
「理由の分かんないお仕置きは受けたくない!」ってキーさん、結構いるでしょ?「納得できるお説教をしてよぉ!」って。これが主体性の主張ね。

カー側はカー側で「自分はそれで正しいと思ってるの?いいと思ってるの?」なんて、よくあるお説教セリフだけど、こんな所にも、カーがキーに対する問答無用的な絶対優位性を保つことより、ある程度スパンキーの主体性を許しているという立ち居地がよく現れてるような気がします。

これって裏を返せば、キーがその良心に従って別に悪いと思っていなければ、そこでお仕置きストップになってしまう可能性を残しているということで。
いささか建前的ではあるけれど、カーだから、その立場を盾にお仕置きできるわけではなくて、カーキー両者納得できる「正しさ」に基づかなければ、お仕置きまで行けないってことなんだよね。

この辺、Sの立場だけを理由として、SはMより優位の立場であるということだけを理由にして、加罰を押し切れるのがSMであるような気がするのです。


ちなみに私はこういうセリフに結構弱いんだ(笑)
主体的に反省させられる、って私的には結構キモだと思うんだけど、どうでしょう?>ディシプリン派のスパンキーさん

長く親しんだパートナー同士なら、お仕置きのルールみたいなのが確立されてて、お説教の省略、ということもあるかもしれないけど、それでも、スパンカーの怒りに任せたスパは「お仕置き」じゃない!っていうスパ嗜好者、結構いるでしょ?
スパンキーの「ためになるお仕置き」じゃないとダメ、というか、ね。


結局、スパンキーがスパンカーに従う、しつけられる、服従するということがメインなのではなくて、スパンキーの向上がメインなのが最も本来的な「お仕置き」、ディシプリンスパンキング。

さらに私的、超個人的こだわりを付け加えますと、スパンキーはその人格や意志を認められ、尊重されているけれど、償われるべき罪が存在したその瞬間にだけ、罰を与えられ、過ちを後悔させられる時間を与えられて、反省→向上の機会を与えられるというのが結構ポイントで。

もちろん「しつけ」や「服従」そのものを重視するスパ嗜好者もいますし、それはそれでアリです。
でもそれは、ココで私が定義しているところの「ディシプリンスパンキング」ではなくて、「Bondage & Discipline」あるいは「Dominance & Submission」に入るんですよね。

というか余談ですけど、この「Bondage&Discipline(束縛としつけ)」のDisciplineって、イメージとしては「調教」って感じかも。
「しつけ」も「調教」も、「上から何かを押し付けてその子を変容させてしまう」という意味で、私の中ではほとんど同義語なんだけど、だから私は、スパンキーのくせに「しつけ」って言葉が昔から過剰に嫌いだったりします。
「痛み」や「脅し」などのパワーコントロールに屈して変容させられるというのだけは、たぶん幼少期のムチの体験も相まって嫌悪感が・・・(苦笑)

昔、ご縁のあったスパンカーさんに「貴女のように自己矜持を前面に出すキー坊は珍しい」なんて言われたことがありますが、キー側として、「罰されるべき罪がある」という論理に納得の上で、自分の意志で罰を受け入れることを選ぶ、というのは、私にとってはムチと「お仕置き」を異にする一つの重要なファクターなのかもしれません。


ちなみにさらにもう一つものすごく余談ですけど、私の彼は嗜好としては結構この「服従」重視派でね。
「従順」とか、自分から鞭持ってくるように「躾ける」とか、大っ好き。
ついでに言うと、私もプレイを楽しむモードに入ってる時は、「服従ごっこ」というか、そういうBD的雰囲気を楽しんで遊ぶのも嫌いじゃないけれど、それは自分の中の本質的なスパンキー願望とは、向かうところのベクトルが完全に異なる、別ジャンルの楽しみなんだなー。
エッチな気分も大いに混じりながら楽しめるSM遊び、みたいな感じ。


えー、話が逸れましたが(汗)
それにしても、この「ディシプリン(パニッシュメント)スパンキング」というもの。
相当にスパンキーだけが主体の嗜好だよなぁ、とは昔から思っていて、スパンカさんの満足があるとすれば「キーがいい子になって成長してくれたら嬉しい」という、こりゃほとんど親の境地^^;

で、まあこの大人の性癖の世界に、そんな親ゴコロ的なものを持ち合わせてわざわざ住みついている男性がいるとは最初から思いもしないので、スパンカさんというのはBDSM的嗜好を持ちながら、スパンキングのシチュエーションロールプレイを解し、特に好む人なんだろうなぁ、というのが私の最初の見当で、今までスパンカさんに出会ってお話させていただいた経験で言うと、大方そんな感じで当たりだったような気がします。あと多いのはお尻フェチねw

本来的なディシプリンスパンキングを特に好み、それそのものにも相当割合での満足を見出すことができる、というスパンカさんは・・・私が今まで出会った中では一人、かな。
直接お会いしたことはありませんが、風のうわさでは、もう一人知っています。
あと、似たようなことをおっしゃる方は、ネット上ではもう一人くらいお見かけしましたけど、それはスパンキーの傾向に迎合した方便かもしれず・・・(←疑い深いw)


本当にディシプリン好きのスパンカさんというのも、いることはいるようですが、スパンキーよりも確実に絶対数は少ないような気がしますね。


まあ、こういうのは全くの個人の趣味嗜好の問題なので、BDSMの人は嫌だ!とか言っているわけじゃ全然ありません。

一人の個人の中でもBDSMも好きだし、ディシプリンスパンキングも好き、という人は、当然のことながらいっぱいいます。
かく言う私も、一般的に想像されるSMプレイは全くの苦手だけど、BD的な雰囲気は嫌いじゃないし、「Mだもん♪」とかたまに言うしね。

それでもやっぱりディシプリンスパンキングとSMは、かぶるところも、似たところもありつつ、SMとは一線を画する独立ジャンルだよね、というのが、私の思うところです。


2008/10/13