さて、「スパンキーにはメンヘルが多い??」という言葉から始まった、スパンキーという生き物への考察の旅。
それはつまるところ、自分がスパンキーたる所以はいったい何なのか、自分はリアルスパにいったい何を求めているのだろうかという疑問の答えを求めての、長い道のりでもありました。
その中で気付いた、とても根本的で、だからこそ重要なこと。
それは、まず初めにスパ欲ありき、ということです。
セクシャルな欲求よりも先に、スパンキングそのものへの欲求ありき、ということなのです。
これについては恐らく、どのスパンキーさんもそうではないかと踏んでいます。
もちろん、スパンキングが確かに性的フェティシズムであることは、そこに性的要素を持ち込む事を嫌うスパンキーさんにとってすら、間違いのないことなのでしょう。(100質でスパンキングの精神的側面と性的側面の割合を尋ねる質問がありますが、10:0とお答えになる方は未だお見かけした事がありません)
けれど性的快感を追求してスパンキングに目覚めた、というよりも、まず初めにスパンキングへの欲求、お仕置きというシチュエーションへの憧れがあり、それがセクシャルな側面とぴったり癒着していることに気付いた、そういう順序なスパンキーさんの方が多いのではないでしょうか?
まあ、セックスのマンネリ化を打開する為にスパンキングを試してみたら良い刺激になった!なんていう方だって絶対にいないとは言い切れませんが、ここではちょっとお話の対象外ね(^_^;)
性欲にも先んじたスパンキングへの欲求。
それはやはり精神的バックグラウンドからやって来るものなのだと私は思っています。
子どもの頃の家庭環境や、色々な経験、元来の性格的なものなど、個々のスパンキーさんそれぞれスパンキングへ向かったバックグラウンドは異なるでしょう。
けれど、みな一様に根底の部分で抱えているのは、結局のところ「愛されたい」という欲求なのではないでしょうか?
「スパンキーにはメンヘルが多い」というのはかーなーりの語弊があると思いますが、ある意味では真実を突いていると私が思ってしまうのは、実はココ。
ダイレクトに結論から先に言いますと、「愛されたい」という欲求が、相当切羽詰った状態でスパンキングに向かってしまっている子ほど、スパンキングへの執着度、スパネット界への依存度が高く、その心の不安定さによってメンヘルを発症している可能性も高いのではないか?と、私には感じられたのです。
「愛されたい」というのは人間の基本的欲求で、誰もが抱く気持ちですが、その欲求とスパンキーの気持ちの結びつきについては、次のページからさらにお話を続けます。
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